一人でごはんを食べたらダメですか?―「一人での食事は寂しいこと」という決めつけはやめよう!

皆さんは人と食事するのが好きですか?私は実はちょっと苦手です。

なぜだろう?と考えてみて、以下のような理由があるなと思いました。

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人との食事が苦手な理由

  • 食べるのが遅いので、周りが食べ終わった後に自分だけが食べているのを待たれるのが苦痛
  • 食事は考える時間でもあるのに、他人と食事していると勝手なタイミングで勝手に話しかけられるので困る
  • そもそも「食べながら喋る」のが苦手。食べるときは食べることに集中したい

私は食べるのが遅いので、大体いつもほかの人が先に食べ終わります。自分が食べ終わるのをただただ周囲に待たれているという状況は、結構つらいものがあります。料理の味どころではありません…。

また、私にとって食事は思考する時間、考えを整理する時間でもあります。

久しぶりに一人でゆっくり食事をすると、何だかすごく「解放されてる感」のようなものがあって、誰にも邪魔されることなくのびのびと考えたいところまで考えることができるのがとても心地いいです。

誰かとの食事を心地よくできるのは、お互いが同じことを考えている場合か、違う考えを持っていても衝突させずに意見をやり取りすることができる相手である場合のみです。

人と過ごすことで元気になる人、一人でいられることで元気になる人

そもそもなぜ「誰かと一緒の食事=健全」、「一人での食事=良くない」とされているのでしょうか。

一人の食事は「孤食」と称され、ネットで調べると「孤食の子どもが増えています」などと、問題視する見方の記事が多くあります。

確かに24時間一人ぼっちの生活をしていると、とりわけ食事の時間に孤独を感じる傾向があると思います。私も大学入学直後の一時期、友達が全くいなくて、一日の会話がコンビニ店員さんとの「お箸いりますか」「いりません」だけみたいな生活をしていたことがあったので、フルタイムぼっちの食事の時間のむなしさは知っています。

でも違うんだよ。

ほとんどの人は一日中他人と接しています。そういう毎日だと、「せめて食事の時間ぐらいは一人になりたい」と思ったりします。会社員時代の私のささやかな夢は、「一人でお昼ごはんを食べたい」でした。

日本の会社だと特に狭いオフィスにたくさんの人が机を突き合わせた状態で一日中過ごすので、別に同僚が嫌いじゃなくても、さすがにお昼ぐらいは一人になりたくなりませんか。

誰の言葉だったか忘れてしまいましたが、「人間には人と一緒に過ごすことで元気になる人と、一人でいられることで元気になる人がいる」と言った人がいました。私は明らかに後者です。

適切なラベリングかどうかわかりませんが、仮に「人と一緒に過ごすことで元気になる人」を「外向的な人」、「一人でいられることで元気になる人」を「内向的な人」と呼ぶことにすると、「孤食」によって寂しい思いをし、心身に悪影響を受けるというのは外向的な人ではないでしょうか。

内向的な人はむしろ一人の食事で英気を養います。

「食事はみんなで」が「正しい」の?

一体どうして「食事はみんなで」があるべき姿のような空気ができてしまうのでしょうか。一つの要因に「学校給食」があるような気がします。

みんなで机を突き合わせて食べる、独特の日本の学校給食。私が小学生の頃も、給食は大好きな時間でしたが、「給食を教室で食べたくない」という子がいました。

その子はどうするかというと、保健室でひとり給食を食べるのです。

今になって思うと、食事をとっていないわけではなく保健室で食べているだけなのだから、「別にいいんじゃない?」と思います。

でもそのことは「解決すべき問題」とされ、「どうしたらその子がみんなと一緒に教室で給食を食べられるか」を周りが勝手に考えたり、「ときどき数人のクラスメートを保健室に送り込んで一緒に食事させる」という、どう考えても方向違いなことが行われたりするのです。

「食卓での団らんを取り戻さねばならない」のか

昨今、「家族で食卓を囲む団らんがなくなり、家庭崩壊や食の乱れが起こっている」という指摘があります。「だから食卓での団らんを取り戻そう」というのです。

このことについて、『食のリテラシー』という書籍に、興味深い指摘がありました。本書によると、家族で食卓を囲むというのは決して「日本の伝統」ではないし、家族で食卓を囲む時期があったとしても、それは以下の3つの理由があったからだということです。

①さむいから
かつての日本の民家は寒かったので、皆で集まって暖を取りながら食事していた
②さみしいから
ほかに娯楽がなかったので、集まって食べていた
③くらいから
一つしかない電灯のもとに集まって食べる必要があった

しかし現代日本の家庭で「かたまっていないと寒い」とか「電灯が一つしかない」ということはめったにありません。著者は、現代では上記のような「家族で食卓を囲まなければならない理由」はもうないのに、人々が「食という人類普遍の行動によって家族をくっつけようとしている」と言います。

家族や大好きな人との食事は楽しいけれど、人から強制されるようなものではないと思います。

「孤食は健康に悪い」?

高齢男性を対象とした調査で、たとえ家族と同居していても、「孤食」生活だと死亡リスクが5割高まるという記事を見ました。

でも、「同居している家族がいるのに、食事は一人でとっている」という高齢男性の死亡リスクが高い原因は、ほかのところにある気がしてなりません。

その人たちが無理やりその家族と同じ食卓で食事する生活にしたところで、果たしてストレスが減ったりするでしょうか。その家族と普段からうまくいっていないとか、根本的な別の問題があるはずです。「孤食」はその結果であって原因ではないでしょう。

それよりも「本心では一人で食事したいのに、日常的に他人との食事を強いられている人」の死亡リスクやストレスについて知りたいです。こちらの方が、多くの人を悩ませている、隠れた社会問題なのではないかなあ…とも思います。

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