「年下に教わること」ができるか?―「異世代同士の相互教育」への希望と、年齢主義がダメな理由

以前書評を書いた著作、村上由美子著『武器としての人口減社会 国際比較統計でわかる日本の強さ』で「異世代同士の相互教育」の重要性が説かれていて、とても興味深いと思いました。

年長者から若年者へという一方通行の教育・訓練だけでなく、今後は異世代同士の相互教育が、長期雇用のメリットになるかもしれません。

最近よく目にするようになった「ダイバーシティ(多様性)」という言葉は、性別や国籍だけでなく、異なる価値観を持った多様な年齢層が関わり合うことを意味します。

「多様性の重要性」は近年よく叫ばれるようになりましたが、年齢という面での多様性が言及されることはまだ少ないように思います。

日本では、人種や性別の問題以上に「世代間の隔絶」が大きいのではないでしょうか。

私たちの社会では小学校からほぼ「年齢=学年」の年齢主義で、飛び級や留年がほとんどなく、生まれたときから社会に出るまで横並びです。英語ではなかなか表現しづらい「同期」という言葉もあり、「一緒にいるのは常に年齢が同じ人たち」という環境になじみが深いため、年齢主義が意識されてさえいないように思います。

そんな私たちには、海外の「異学年混合教育」や初等・中等教育での留年・飛び級のような例は、とても新鮮に映ります。

外国人の友人が、年上・年下の「友だち」がたくさんいるというのも、私には何だかとても素敵なことに思えました。

一方で、一方通行で全員横並びの進級システムや年功序列制度に見られるように、年齢主義が根強い日本では、「世代間の相互教育」は難しいのでしょうか。

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部活動で感じた、「年齢がすべて」

「年齢主義」や「年功序列」と聞いて思い出す、高校時代の部活動でのエピソードがあります。

高校で、私はパフォーマンス系の部活動をしていました。マイナーな競技でほとんどの部員が高校から始めたので、みんな経験年数は1~3年でした。

ところが私たちが3年生の年に、その競技を小さい頃から習い事として何年もやってきたという子が、1年生の新入部員として入ってきました。

思えばこれが、どこまでも学年すなわち年齢が物を言うという環境に違和感を持った最初の経験だったかもしれません。

年齢主義の問題点

年齢で上下関係を決めることがなぜいけないか?

私には、年齢は追い抜いたり追い越されたりすることが絶対にない、他者との関係が一生変わらない指標であるという点が、問題であるように思います。

ある人が自分より年上であれば、その人は一生、自分より年上だし、自分にとって年下の人はずっと年下です。年齢主義だと、他者との上下関係は生まれた瞬間から決まっていて、決して変わることがありません。前の人を追い越せないし、後ろの人から追い越されることもないのです。

でも、能力や知識などで互いを評価する場合は違います。努力した結果、憧れだった人に追いつき、追い越すということもありうるし、逆にぼんやりしていたら後続の者に追い越されるかもという緊張感もあります。

「目上の人には礼儀正しく」と言われるけれど、そう言われるときの「目上」とは、「年上」を指すことがほとんどのような気がします。

年長者を敬う姿勢は大切かもしれないけれど、「年下イコール目下」という意識は持たないようにしたいものです。

どんな相手でも一人の人として尊重して、年齢のバイアスをかけることなく異世代同士の相互交流・教育ができたら、色々な発見があって楽しいかもしれません。

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