「みんな」って一体誰のこと?

日本語では「みんな」という言葉がよく使われます。

外国語でこれに相当する言葉がどれくらい使われるものなのか知らないのですが、日本語ではこの言葉を使わずに話し合うのは無理なのか?と思うくらい、日本の会議などではよく耳にする言葉です。

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「みんな」の正体を確かめてみたら…

記者として長年、数多くの労働問題を取材してきた竹信三恵子さんの著書『しあわせに働ける社会へ』で、この言葉の不思議さを実感させられるエピソードが書かれていました。

著者の竹信さんは、自身が所属する新聞社の労働組合に入っており、あるとき、女性社員の労働条件に関する要求について話し合う会合に出席したときのことです。

女性社員による、女性社員のための会合でしたが、当時は女性記者は1パーセントにも満たず、その会場でも「私たちの要求など受け入れられるはずもない」という雰囲気が満ちていたそうです。

「こんなこと言ってるの、私たちだけだよ」「みんなにはどうでもいいことだもんね」という声が上がり出して、著者には猛烈な怒りがわいてきたと言います。

私は、その数年前に出産し、仕事と育児のはざまで疲れきっていました。こんなに死ぬ思いをして働いているのに、そうした状況を改善する要求が、なぜ大切ではないのか。仮に「みんな」にその要求が必要ではないとしても、私には必要なのだ。そもそも「みんな」って、一体だれのことだ。

著者は参加者一人ひとりに、「組合員の私が必要としていることを、なぜ、多数派が大切と思わないからといって要求してはいけないのか。みんなは必要ない、というが、あなたはどうなのか」と聞いたそうです。

するとそこにいたメンバーは、全員が「私は必要だと思うけど」と言ったのだそうです。

そこにいる全員が「必要と思う」と言うのなら、「みんなには必要ない」わけではないじゃないかー。著者の訴えで会場の雰囲気が変わり、最終的に女性社員の労働条件に関する10の要求がまとめられ、そのうち半数が会社に受け入れられたということです。

誰でもあって、誰でもない「みんな」

「みんな」という言葉を使って、「そんなことは(私ではなく)みんなが反対するからできない」などと言われることが多いように思います。

田中さんが反対だから、山田さんがこう言ってるから…と名指しすることはしづらいものです。

だから「みんな」というふわっとした主語を使うことで、「誰でもあるけれど、誰のことでもない何者か」に、さりげなく責任をかぶせてしまう。

この言葉を使うだけで、本当にさりげなく、「とにかく多数派がそう言ってる」という強い主張ができてしまう。あいまいな言葉だけに、こちらも反論がしにくいのが厄介です。

空虚な「みんな」ではなく、発言権を持つ「わたし」であるために

一人ひとりは「改善した方がいい」と思っていても、「でもみんなは反対だから」「みんなが納得しないから」と黙っている。「みんな」という架空の「権威あるマジョリティ」のようなものを作り出して、それには逆らえないから…と、本当の「みんな」は物言わぬ人でい続けてしまう。

たしかに反対しそうな人がいるのかもしれない。だけどその場合も「みんなが…」ではなく「○○さんが反対するだろう」と言えば、「なぜその人は反対しそうなのか」を考えて、よりよい案にしていくことができるかもしれません。

それなのに、何人かの「反対しそうな人」が予想できるからといって、「みんなが納得しないだろうから」と多数派の話にしてしまっては、提案に対して端から後ろ向きの姿勢になってしまいます。

あいまいで誰を指すのかわからないのに、すごく強い力を持つかのような「みんな」という言葉。

この言葉を使われて違和感があったら、そこはきちんと問い直さなければなりません。

「みんな」って、誰のこと?私やあなたこそが、そのひとりなのではないの?

実体のない「みんな」を認めてはいけない。

自分でこの言葉を使っていることに気が付いたときも、「みんなって誰だろう?」と立ち止まって考えなければと思います。

実態のない「みんな」の反論を理由に、大切なアクションがとられていなかったり、重大な問題が放置されていたりするケースが、たくさんあるのではないでしょうか。

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