仕事のために自分がいるのではなく、自分のために仕事がある

現代の日本では、仕事について悩んでいる人がとても多いようです。100人の働く人に尋ねてみたら、「明日も仕事に行くということが楽しみだ」と答える人は、一体何人いるのでしょうか。

ピーター・フランクル著『ピーター流生き方のすすめ』に、こんな話がありました。

あるときピーターさんは珍しく、ブランドものの高価なズボンを買いました。翌日、そのズボンを履いて、自転車に乗って女性とのデートに出かけたピーターさん。しかし、途中でズボンのすそが自転車のチェーンに挟まってしまい、ひどく汚れてしまいます。

ピーターさんは慌てて家に引き返し、ズボンを替えて女性との待ち合わせ場所に急ぎましたが、結局約束の時間には遅れてしまった上に、デートはあまりうまくいきませんでした。

後日、ピーターさんがブランド好きの友人にこのことを話すと、彼はこう言ったそうです。「おまえはばかだ。そんな立派なズボンを買ったなら、タクシーで行くべきだったんだ。」

しかしピーターさんは、考えた末に、彼とは違う結論に達します。それは、「もうブランド品は買わないぞ」という結論でした。

彼の話をよく考えてみると、僕はまるでズボンのために生きなければならないように思えました。まず先にズボンがあって、僕はこのズボンを活かし、守るために、ああしたりこうしたりしなければならないのだと。

でも、ズボンはあくまで僕のためにあるのだと僕は思いました。ズボンのために僕があるのではない。ズボンのために自分の生き方を変えなければならないくらいなら、そんなズボンはいらないじゃないかと思ったのです。

私は無意識に「ズボン」を「仕事」と読み替えて、この文章を読んでいました。そして深く共感したのです。

仕事のために私がいるのではない。私が生きるために、仕事があるのだと。

会社からすれば、まず仕事があって、そのために私を雇い入れ、配置しています。けれども私にとっては、私が生きるために、仕事をする。私が幸せに生きるために、人生に「仕事」を取り入れているのです。そのことを忘れてはいけないと思います。

そして、「ズボンのために自分の生き方を変えなければならないくらいなら、そんなズボンはいらないじゃないか」。この言葉も忘れずにいたい。

この大切で当然なことを忘れずにいられれば、苦しむ人は減るのではないかと、切実に思わずにはいられないのです。

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