プロフィール

Yuki
1989年生まれ、女性。絵を描くことが好きです。

大好きなもの・人

  • ポッドキャスト番組「バイリンガルニュース」のMamiちゃん&Michael:学生時代から現在にかけて5年以上、毎日のように聴いています。暇さえあればバイリンガルニュース。このポッドキャストから学んだことはあまりに多く、会社を辞めて毎日孤独だった時期の心の支えでもあったので、人生を救われたと思っています。沖縄からはるばる発祥の地・阿佐ヶ谷にも行きました。 → 関連記事
  • 近藤雄生さん:ルポライター、理系ライター集団「チーム・パスカル」メンバー。結婚したばかりの奥さんと仕事がないまま二人で海外へ旅に出て、オーストラリア、アジア、ヨーロッパ、アフリカなど各地を旅しながらルポルタージュを書くという生活を5年間続けた超素敵な方。 → 関連記事
  • 出口治明さん:ライフネット生命創業者、現APU学長。2017年に那覇での講演を聞きに行って、初めて生で(最前列の出口さんの目の前で)お話を聞きました。素晴らしい体験でした。 → 関連記事執筆中!
  • 祐真キキさん:「難民キャンプを訪れるだけで世界中でニュースになるアンジェリーナ・ジョリーのように、世界的な影響力を持つ女優になって人道支援活動をする」という目標のために、有名になることを目指している京都出身のハリウッド女優さん。大人気ドラマ”HEROES(ヒーローズ)”の続編に出演。テレビで知って大好きになりました。 → 関連記事執筆中!
  • 増田弥生さん:HR(企業における人事、人材資源活用)の専門家。著書『リーダーは自然体』を読んで、自然体ですごいことを成し遂げる様子に大きな感銘を受け、かつ、書かれているように「自然体だからこそ素晴らしい成果が上げられる」ということがよくわかりました。 → 関連記事
  • 高橋有希さん:エンジニア冒険家。イーロン・マスク氏率いるスペースX社での勤務経験あり。バイリンガルニュースにこれまでに2度ゲスト出演していて、1回目にお話を聞いただけですぐにファンになってしまいました。専門性、人柄、考え方・生き方、どれをとっても素直にすごいなあ、いいなあと思える方です。 → 関連記事執筆中!
  • 出雲充さん:株式会社ユーグレナ社長。著書『僕はミドリムシで世界を救うことに決めました。』を読んで感動し、最も尊敬する人の一人になりました。起業の本でこれほど感動的なものって他にないのではと思います。ユーグレナが好きになりすぎて2016年に関連会社「ユーグレナ・アート」の面接を受けに行き、結果落ちましたが、相変わらず大好きで、いつか何かの形でお役に立つことができたらと夢見ています。→ 関連記事

私のこれまで

子どもの頃は暇さえあれば絵を描いていました

両親の地元・熊本市で誕生したのち、父の仕事の都合で2~3年ごとに引っ越しを繰り返す子ども時代を送りました。

合計3か所の小学校に通い、友達ができたと思ったら転校…という生活でしたが、特に不満は無く「転校生」という特別なポジションを楽しんでいました。

振り返ってみると、大人になった今の私が、転職回数が多く、環境を変えていくことにあまり抵抗がないのは、子ども時代をつねに「転校生」として過ごしたことと関係しているのかもしれません。

また、小さい頃から絵を描くのが大好きで、暇さえあれば何時間でも描いていました。

上の画像は実家に保管してある私がチラシの裏に描いた絵で、3歳ぐらいのときに描いたものだそうです。月が2個あるし花が異次元の方向から生えてますね。左端の文字は「気をつけろ」って書きたかったんだと思います。当時は絵を描くために毎朝、裏が白い広告チラシをせっせと集めていました。

小学校に入ってからも、家でも学校でもひたすら絵を描いていました。変な持ち方で鉛筆を持っていたので、薬指の変な位置に大きなペンだこができていましたが、「絵をたくさん描いていることの証拠」みたいで誇らしく思っていました。

人前で絵を描くのをやめた中高生時代

三度のご飯よりも絵を描くことが好きだったので、中学校では当然のように美術部に所属。でも中学生になってから周りの目を気にするようになり、何となく恥ずかしくなって教室で絵を描くのを一切やめてしまいました。

それでも放課後の美術部の時間には、同じように絵を描くことが好きな友人たちと好きなだけ絵を描いて好きなマンガの話をすることができたので、部活の時間が一番好きでした。気の合う友人とは、何時間でも話していられました。

この頃仲良くしてくれた友人とは、今でも特別な友達です。今では年に1度会えるか会えないか、という感じですが、久しぶりに会って互いの近況を話すと、中学時代に戻ったような、逆に中学時代から一気に大人の今にタイムスリップしてしまったかのような、不思議な感覚になります。

中学生の頃は毎日一緒に過ごしていた彼女と、大人になってからこういう素敵な距離感の関係になれるとは想像もしていなかったので、何だか感慨深いです。

久々に会うときいつも素敵なお店を教えてくれます

ただ、美術部の時間には好きなだけ絵を描いて好きな世界に浸っていたものの、それは部活の時間だけの閉じられた世界で、教室では絵を描くのが好きな事を表に出せず、周りに合わせつつ大人しく過ごしていました。

高校では何を思ったか突然運動部(分類上は文化部だったけれど限りなく運動部に近いダンス系の部活)に入ったので、いよいよ一切絵を描かなくなってしまいました。

また、勉強もけっこう好きで、テストで点を取るための攻略を試行錯誤するのが面白く、高校時代はほぼ勉強漬けの毎日を送っていました。

 大学入学、研究者の道へ

勉強の甲斐あって第一志望の大学に合格。福岡市内で初めての一人暮らしを始めました。

大学ではこれまた勉強が面白すぎて大学院へ進学。心理言語学で修士号を取り、博士課程まで進みました。

大学院入試の勉強のために毎日通った大学の図書館への道。

大学・大学院時代には多くの素晴らしい人たちと出会い、この時期の出会いと経験と学びは私の人生でかけがえのない財産となりました。

特に大学院で出会った研究者たちは、つねに物事を自分の頭で考える、それまで出会ったことのない、本当に素晴らしい人たちでした。

毎日そんな人たちだけに囲まれて、時に互いの研究テーマについて意見を交わしたりしながら過ごす日々は本当に学びに満ちていて、「楽しかった」という言葉では表現しきれないほど濃い、素晴らしい時間でした。今でもよく、なんて贅沢な環境にいたんだろうと、あの頃の一日一日を思い出します。

また、論文執筆や研究発表を通して、論理的な思考の仕方や効果的なプレゼンの方法などについて学ぶことができたのも、本当に有意義でした。

多様性の中で過ごした大学院生時代

また、大学院生時代の3年間は、私にとって初めてたくさんの外国人と知り合い、交流した時期でもありました。

私の大学には中国や韓国からの留学生が多かったほか、アメリカ人やイタリア人、台湾人、メキシコ人など多様な人々がいました。

また、私は大学院の3年間、大学のすぐそばにある女子学生寮に住み、そこの寮生は半分近くが外国人留学生でした。彼女らの多くは中国や台湾、タイなどのアジアの国々から日本に来ていました。

3年間暮らした超古い寮の二人部屋。(散らかってるのは引っ越し前だからです…^^;)

彼女たちとともに暮らし、彼女たちの話を聞くほどに、自分が「当たり前」だと思っていたこと、「普通」だと思っていた世界がいかに狭かったのかを知り、もっともっと色々なことを知りたいと思いました。

このような経験を通して「広い世界のことを知るために英語ができるようになりたい」という気持ちが強くなり、iPadでポッドキャスト番組「バイリンガルニュース」を聴き始めたのもこの頃です。(スマホはまだ持ってなかった)

私が半年間ひとりぼっちでも寂しくなかった理由~バイリンガルニュースがあれば、人生は楽しい。
〜2018年8月追記〜 末尾にバイリンガルニュース誕生の地・阿佐ヶ谷に行って来たことを追記しました。 私は以前、新卒で入社した会...

以来、毎日のように聴いていて、バイリンガルニュースへの愛を語り出したら止まりません。バイリンガルニュースには、後述の社会人になってからのつらい時期にもとても元気をもらったので、このポッドキャストのことは大切な友人のように思っています。

研究の世界を離れる

大学院での日々は最高でしたが、博士過程に進学し、徐々にその先のこと、つまり就職のことを考えなければならない時期が来ました。

研究者の先生方・先輩方と交流する中で私は、研究者としての就職というのがいかに狭き門であるかを少しずつ知りました。また、周りの研究者志望の方たちが自分とは比べものにならないくらい優秀だったことから、どうも自分が研究職に就いてやっていくというのはかなり難しそうだと感じました。

加えて、研究者という仕事は非常に魅力的ではあったものの、学会発表での質疑応答や他の研究者との議論で意外とコミュニケーション能力が求められることや、大学の教授を目指すのであれば、自身の研究だけでなく授業やテストの実施といった学生の教育・評価、大学の雑務なども仕事に含まれるということを考えると、果たして自分にできるだろうかと考えました。

そしてしばらく考えた末に、研究者を目指す道から企業に就職する道へと方針転換しました。

大学にあった、秋になると見事に紅葉する木

研究の世界を道半ばで離れたことについて、私はずっと何となく罪悪感や劣等感みたいなものを持っていて、一時は自分の生活のすべてだった研究というものに対する複雑な気持ちをうまく言葉にできず、消化不良のような状態でいました。

でもあるとき、私の大好きなライターさんであり、ご自身も一時は研究を志していた近藤雄生さんのブログにあった下記の文章を読んで、言葉にできなかった気持ちがまったくその通りに言語化されていて、思わず泣きそうになりました。

宇宙物理の話などは、その道をわずかとはいえ志そうとしていたにもかかわらず、当時は「難しくてとても、、」と思ってしまい、結局その世界を断念してしまったわけですが、厳密な計算などは置いておいて概念的なところだけを学んでみると、案外難しくなく、理解しやすく、そしてものすごく面白いことに今更ながら気づかされます。

学生時代は、厳密に迫ろうとしすぎたせいか、本質的な面白さをちゃんと理解する前に、理論のところで断念してしまった気がします。そういうところはとりあえずすっとばしても根本の考え方はそれなりに理解できるし、そういうところに目を向けることができれば、宇宙や物理や数学の面白さは、きっと誰にでも感じられるものなのではないかと思います。

私も、学部時代に言語学研究の面白さに惹かれて研究の世界に入ったはずなのに、院生として過ごす中で、学会発表を何件できるかとか、このままの調子で学位論文を書けるだろうかとか、今度の発表はうまくいくかとか…、そういう目先のことに必死になっているうちに、いつの間にか言語学の何が面白いのかわからなくなってしまっていたかもしれません。

だけど締め切りとか学位とか成績といったものと無縁となった今になって振り返ってみると、やっぱり研究の本質的な部分は、近藤さんの言う通り「案外難しくなく、理解しやすく、そしてものすごく面白い」と心から思えます。

近藤さんは現在、専門家へのインタビューや科学雑誌の原稿作成など、専門的な事柄を一般の人にもわかりやすく伝える「理系ライティング」ができる人の集団「チーム・パスカル」のメンバーとして活躍されています。

(近藤さんのブログは、2017年にリニューアルされて以降はこちらにお引っ越ししています)

私も研究者となる道からは離れたけれど、得意なイラストレーションやデザインを何らかの形で活かして研究に参加したり、研究を一般の人たちに知ってもらうことの役に立つことができないかと考えていて、それを実現するのが将来の夢の一つです。

就職そして転職

院生時代に実験結果の分析のためにエクセルマクロを扱い、その有用性に感動した経験からプログラミングを身につけたいと思ったため、IT業界を志望。無謀にも全くの未経験にも関わらず、福岡市内のシステム開発企業にSEとして就職しました。

就職活動したときの私は「大学院に在籍中の25歳、社会人経験なし」という状態だったので、就職活動は難航するだろうと思ったのですが、研究発表でプレゼン慣れしていて面接で喋るのが結構得意だったおかげか、思ったより苦労することなく内定をもらえました。

そうして晴れてSEとして働き始めたものの、未経験の自分にとってSEの仕事はのんびり勉強しながらこなせるほど甘くはなく、右も左もわからない状態で毎日遅くまで働いて、とてもきつい日々でした。周りの人々にもかなり迷惑をかけたと思います。

また、システム開発系の仕事はどうしてもシステムの利用が少ない深夜や早朝にリリースやメンテナンスを入れるため、長時間労働や不規則な生活にならざるを得ません。

遅くまでの残業を続ける生活で次第に体調を崩してしまい、「今の仕事の延長になりたい自分はないのではないか」と思ったため、入社からたった7か月でしたが、思い切って退職してしまいました。

退職と同時に、次の仕事も決めずに会社をやめた私のその後の生活を心配して、学生時代からの彼氏が私の家で同居し始めてくれました。おかげで家賃や光熱費の負担が半分になって、とてもありがたかったです。

また、仕事をやめて時間ができたので、このブログを始めました。

約半年間の転職活動を経て、とある幼稚園への就職が決まりました。しかしここでは色々あって、またしても5か月でやめることになりました。

詳しくは人気ブロガーヒトデさんによるブラック企業撲滅ブログ「今日は社畜祭りだぞ!」に寄稿した記事に書かせて頂いたので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

こんにちは、Yukiと申します。 新卒でSEとして就職したIT企業を長時間労働に耐えかねて半年で退社し、その後とある幼稚園に事務職員として入職したものの、さらなるブラック労働環境だったために5か月で辞めた27歳女性です。 今回は2つ目の就業先である幼稚園での経験について書かせて頂きます。 今思えば、この幼稚園は最初から...

フリーで働く小さな第1歩を踏み出す

退職後は、再び仕事探しの日々となりました。また、2016年末でこのブログを運営し始めて1年が過ぎ、少しずつ「ブログを通してつながった人」ができ始めました。

2017年初めにはドイツ在住ブロガーwasabiさんからのご紹介で、日米を行き来しながら働くフリーランス翻訳家・ランサムはなさんのブログのヘッダーイメージを制作させて頂きました。

2017年初めには、参加した英会話イベントで偶然知り合った方に仕事を紹介していただくことができ、これが在宅でOKという資料作成のお手伝いの仕事だったので、長年やってみたいと思っていた「在宅で個人で働く」というのを初めて経験できました。

このような感じで「研究者・会社員・フリー」と盛りだくさんの9年間を福岡市で過ごしました。

この時期は様々なことを学び、悩み、たくさんの本を読み、多様な人から影響を受けて今の私の人格が形成されていったので、離れた今でも福岡が大好きで、「自分のホームは福岡」という意識があります。いつかまた福岡に住むのが私の一番の目標です。(福岡を離れた経緯については後述)

早朝の博多駅

沖縄に移住

2017年4月、大きな転機が訪れました。私が在宅で行う知人のお手伝いによる数万円以外、ほぼ収入がない状態の中、一緒に暮らす彼氏も会社をやめることになったのです。彼は仕事で大きなストレスを抱えており、心身の健康のために一刻も早くやめた方がいい状況でした。

私たち二人は生活コスト(主に家賃)をさらに小さくする方法を考えた結果、二人で彼の実家がある沖縄に移住することにしました。

今振り返ると、このときは正直、先のことを全然きちんと考えていませんでした。

沖縄は中学生のときに修学旅行で一度行ったきりで知り合いもおらず、どういう場所か全然知らないのに、彼にこの提案をされたときに二つ返事でOKしてしまいました。

この先どうなるかわからないという不安感と、「今は仕事もなく子どももいないので、何も縛るものがない」という、変な高揚した開放感の中で、深く考えずに決めてしまったように思います…。

住む場所というのは人生においてとても重要なポイントなので、移住するなら事前にせめて数日でもいいので滞在してみて、その場所がどんな場所なのか、もう少しきちんと考えることはやるべきでした。

とにかくそんなふうに突然、沖縄への移住を決行しました。

3度目の就職

沖縄への引っ越し後、当初は彼の実家で暮らしました。その後半年ほどして彼の仕事が決まり、しばらくして私も就職が決まり、私と彼は通勤しやすい場所に部屋を借りて、再び2人での暮らしが始まりました。

今の仕事では、これまでに経験してきたことを活かしつつ、自分の得意なことや新しいことをさせてもらえているので、今のところは今までの仕事の中で一番働きやすいと感じています。やっぱり得意なことができる環境にいるのは大事です。

これから

常にこの先をどんなふうに生きていこうか考えています。

目標は「自分が最もストレスなく続けられる働き方で、できれば個人で働いて、暮らしていけるようになること」で、まだまだ難しいのですが、なんとか実現しようと頑張っています。

特に子どもの頃から大好きだった絵を描くことやデザイン関係の活動で誰かの役に立つことができたらと思っています。制作のご依頼を受け付け中ですので、ご興味のある方はぜひご相談ください。

イラストレーターとしての私のポートフォリオサイトはこちら
ご依頼・お問い合わせ・ご質問等はこちらから受け付けています。

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